ドラ研究人生ニチニチ記

黙々と実験し淡々とイギリスで生活する中で人生をより楽しくするための悪あがき

6月4日(木)

さて、イギリスの都市封鎖も徐々に解除されつつある。しかし、私はおそらく7月までは出勤することはないだろう。

 

論文は遅々として進まない。論理の展開の仕方を変え、合わせて図の流れを変え、データに不安のある箇所を発見してもう一度確認したり、なんだかんだで時間がかかる。本当は土日も仕事をしたいのだが、子供の面倒も見ずにそんなことをしたらイギリスでは離婚危機にも発展しそうだ。自分の時間がもう少し欲しい。

この都市封鎖(ロックダウンという単語は極力使わないようにしているのだ。日本人なのでできるだけ日本語を使おうというささやかな抵抗から)中、すでに2ヶ月半は全く実験ができなかった。そしてこれから1−2ヶ月は更にできないだろう(だからこそのグラント書こうという話なのだが)。

 

はからずも、この期間は自分の人生の方向について考え始める良い機会になった。今までなぜこの職をずっと続けているのか。長いポスドク期間まで経て(幸いポスドクにしてはそんなに薄給でもなかったけれど)。研究が面白い、というのもあったが、折角紆余曲折を経て、博士号も取ったし、今まで教育に長々とお金もかけてきたし、これからの方向転換も面倒だし、パーマネントにもなったし、というどちらかというと消極的な理由で、研究者という職に座っている感はある。

しかし、この封鎖中に自分に問うたところ、今の所、この研究で人類に貢献しよう、基礎医学分野に貢献しようなどという願望はほとんどないことがはっきりした。自分の好奇心を満たすために続けている。感覚としては、パズルをずっとやり続けているような感じ。

今までどこに勝機があるのかを鋭く見抜けず(というか見抜くことに意義を感じていなかった)、自分の持てる能力でどうやれば勝てるかを考えてこなかったのは、痛かった。所詮、予想できるレールの上に多かれ少なかれ座っている感がある。

 

ってことは別に、研究しなくてもいいんじゃない?

真面目に、人生の恨みをはらすかのような攻撃的なコメントをよこす査読者の文言に一喜一憂するのが非常にばからしくなってきた。結局は、NGSデータは入って当然、プロテオミクスデータもつけて、新しいネズミを作ってみたいなお金かかってるぜ系の論文がすごいところに載りやすい。それってサイエンスより自分のラボ最高、お金あるぜ、っていう自己顕示欲の延長?なんとなくこの分野に長くいればいるだけ、そのシステムにバカバカしくなる度合いが高まる気がする。

 

人生折り返しを少し過ぎ、これからどう生きたいのか、そしてどういう職ならば定年後(定年ある職がいいの?)も気にせず、楽しくやっていけるのか、考えている。

そういう気分を高めるためでもあるが、引き続きホリエモンの自伝を読んでいる。この人は集中力が桁外れにすごい、そして、これを読む限りでは、ぬくぬくと育ったわけではないその環境が彼のその後の素地を作った感じがある。自分の子供に対してこれからどういう風に接していくか考えさせられる。