ドラ研究人生ニチニチ記

黙々と実験し淡々とイギリスで生活する中で人生をより楽しくするための悪あがき

6月18日(木)

Sar-cov-2のおかげで(研究者なのでちゃんとウイルス名で呼ぼう(笑))自宅勤務になり、若干くさってやる気がなくなったが、そのやる気は全く戻っていない。

 

人間のウイルス感染のせいで、大量に殺されていったネズミや、未だ全く整わない実験環境など、ウェットの実験へのやる気がどんどんなくなっている。

 

こんな中、金融で生きている国の英国にいる身分として、投資を少しだけ勉強し始めた。別にアクティブに個人投資するわけではなく、日本がお手本にしたISAに投資し始めただけである。ISAといえば、10年以上前に投資してほったらかしたものがあり、最近調べたら口座運用費が0.65%にactive 投資型なので運用費に1.05%も取られていることが判明した。しかし、それでも平均3%程度の利益を上げているのだから、もういい、これはこのまま放置しておこうという結論に達した。

今は10年以上前に比べてインターネットのプラットフォームも進化し、手数料も随分安くなってきた感じがあるので、finacial times などを見ながら少しずつインデックスファンドを買った。いや、面白い。今まで実家がとっているからという理由だけで取っていた日経新聞の偉大なことよ。

 

このついでに、入っている年金の現状況もチェックした。こういうことも英国ではインターネットでチェックできるので、いや、金融の国って楽でいいわーと思う。日本でそこそこ働いてから英国に来ているので、中途半端な日本の年金もある。しかし、あちらはあまり当てにはなるまい。イギリスの年金で食べていかねばならないのだ。

目指すは、£500/月の利子である。

がんばるぞー(ますますウェットの研究やる気ないーでもRのプログラミングは頑張っとこうっと)。

6月12日(金)

ここ数日間、プログラミング言語のRの集中コースに出ていたのだが、いやはや、なかなか新鮮な体験であった。

まぁRがある程度できるようになれば、RNAseqもバイオインフォマティシャンに頼らずとも結構自前ででできるようになるし、グラフも好きなようにかける。

 

都市封鎖で人に会わないのにも飽きてきたし、その間にボスがどんどんミーティングの数を増やす、かつ、発表フォーマットを強制変更、発表回数も増やすという愚行に出ているのにもうんざりしていたので、この辺で一転してRをできるようにして、データサイエンティストとか、なんだかんだ転職に向かっていくのもアリかなぁと思っている。ウェットの実験も、嫌いではないけど、お迎え時間に間に合わない(日本みたいに延長保育とかゼロだし、きっちり6時に閉まる=6時5分前には保育園についていないといけない)ために、朝6時半から出勤して実験ということをして、タイムコースなどでは苦労するというのが面倒になってきたこともある。しかし、私が辞めますっていったら、ボスは青くなるだろうなぁ。ただえさえ論文でないラボだから(苦笑。

 

さて、いまだに

堀江貴文我が闘争」を読んでいて、最後の方まできたのだけれど、かつてのナンバー2だった

宮内亮治 氏も

「虚構と私とライブドア

という本を書いていて、そっちも読んでみたいのだけれど、キンドルに対応していない。日本に帰らないと読めないなぁ。

甚大な検察側がライブドアを潰したかったのは確かなんだろうけれど、堀江貴文側と宮内亮治側では事件の見え方も違う可能性が大だ。

 

それにしても、たまに動画も見ているけれど、ホリエモン、自習の教養をたてに、言いたいことだけ言って、アクセス数があれだけ稼ぐんだ、さすが皆が欲しがっている方向を鋭く感知しているねぇ。ただ、その取り巻きみたいなのが、ホリエモンに激怒された事などを話して動画になっているの、あれは正直くだらないと思ったけど(1つ見始めて2分でやめた)。まぁ需要があるならいいのか。

 

6月4日(木)

さて、イギリスの都市封鎖も徐々に解除されつつある。しかし、私はおそらく7月までは出勤することはないだろう。

 

論文は遅々として進まない。論理の展開の仕方を変え、合わせて図の流れを変え、データに不安のある箇所を発見してもう一度確認したり、なんだかんだで時間がかかる。本当は土日も仕事をしたいのだが、子供の面倒も見ずにそんなことをしたらイギリスでは離婚危機にも発展しそうだ。自分の時間がもう少し欲しい。

この都市封鎖(ロックダウンという単語は極力使わないようにしているのだ。日本人なのでできるだけ日本語を使おうというささやかな抵抗から)中、すでに2ヶ月半は全く実験ができなかった。そしてこれから1−2ヶ月は更にできないだろう(だからこそのグラント書こうという話なのだが)。

 

はからずも、この期間は自分の人生の方向について考え始める良い機会になった。今までなぜこの職をずっと続けているのか。長いポスドク期間まで経て(幸いポスドクにしてはそんなに薄給でもなかったけれど)。研究が面白い、というのもあったが、折角紆余曲折を経て、博士号も取ったし、今まで教育に長々とお金もかけてきたし、これからの方向転換も面倒だし、パーマネントにもなったし、というどちらかというと消極的な理由で、研究者という職に座っている感はある。

しかし、この封鎖中に自分に問うたところ、今の所、この研究で人類に貢献しよう、基礎医学分野に貢献しようなどという願望はほとんどないことがはっきりした。自分の好奇心を満たすために続けている。感覚としては、パズルをずっとやり続けているような感じ。

今までどこに勝機があるのかを鋭く見抜けず(というか見抜くことに意義を感じていなかった)、自分の持てる能力でどうやれば勝てるかを考えてこなかったのは、痛かった。所詮、予想できるレールの上に多かれ少なかれ座っている感がある。

 

ってことは別に、研究しなくてもいいんじゃない?

真面目に、人生の恨みをはらすかのような攻撃的なコメントをよこす査読者の文言に一喜一憂するのが非常にばからしくなってきた。結局は、NGSデータは入って当然、プロテオミクスデータもつけて、新しいネズミを作ってみたいなお金かかってるぜ系の論文がすごいところに載りやすい。それってサイエンスより自分のラボ最高、お金あるぜ、っていう自己顕示欲の延長?なんとなくこの分野に長くいればいるだけ、そのシステムにバカバカしくなる度合いが高まる気がする。

 

人生折り返しを少し過ぎ、これからどう生きたいのか、そしてどういう職ならば定年後(定年ある職がいいの?)も気にせず、楽しくやっていけるのか、考えている。

そういう気分を高めるためでもあるが、引き続きホリエモンの自伝を読んでいる。この人は集中力が桁外れにすごい、そして、これを読む限りでは、ぬくぬくと育ったわけではないその環境が彼のその後の素地を作った感じがある。自分の子供に対してこれからどういう風に接していくか考えさせられる。

 

6月1日(月)

ついに6月になった。子供は保育園に帰り、家が静かである。論文の手直しをしている間、データの解釈を一部し直した方がいいのではないかという部分が出てきた。困ったな。嘘の解釈は世にだしたくないし、その気づいてしまった部分は気づいていないことにして世に出すのが、この時点まできたらベストか?

 

あまり時間がない中(言い訳)、本を読むと1冊読み終わるのに1週間以上かかっている。集中力がないのも問題だ。少し前まで、

姜尚中の「100分de名著ブックス、夏目漱石、こころ」

を読んでいたのだが、これは解釈本としては秀逸だった。そもそも漱石の「こころ」を読んだのが高校生時代、ふーん、よくわからない理由でKも先生も死んじゃったなぁ、などと大して文学的解釈もできない普通に無知の高校生は思ったのだった。そして恐ろしいことに、不惑を超えても何の戦略もない中年になっただけで知識も知恵もつかなかった私でも、この本を読むことでやっと「こころ」の意味や、漱石の書きたかった真意に少しだけ近づけたのだった。

 

ここ最近のささやかな趣味が、アマゾンで1日セールになっている本(通常3冊)から、これは、と思う本を買うことである。その中で最近買った

堀江貴文の「わが闘争」

を読み始めた。ここ最近、このままのらりくらりと研究する人生で本当にいいのか、こんなんで退職した後に何かのこるのか、そして、研究がそこまで好きなのか、そもそも生命科学分野にいながら人を助けたいなどという意図はみじんもなく、単なるオタク的自己中な探究心を満たすためだけに研究しているではないか、これからどうしようかと考え始めた。

堀江貴文氏のように、未来を見通す天才的思考の持ち主にはなれないけれど、凡才でも凡才なりに何かの布石を打っておかねば、自分の老後は随分不本意なものとなろう。同様に、中田敦彦氏のyoutube大学系の動画も数本見たが、テレビを見限って動画配信を成功させるこの手腕、素晴らしい。私も、職が安定しているうちに、しょぼしょぼ稼ぎつつ将来転職するなり、グレードアップするなり、複数の方向にもっていけるように、そしてそれには何が必要かを真剣に考えていこうと思う。

さ、論文手直しとりあえずするか。